オリーブの若葉が欲しいな

こんにちは。前置きはいいよという方はこちらからどうぞ:

 

また、このブログの在り方についてはこちらをどうぞ:

 

palice1729.hatenablog.com

 

 

引っ越しの荷解きも8割ほど終わりまして、物理的に落ち着き出した今日この頃です。

こうして余裕が出てくると、考えなくても良いネガティブな思考が幅を利かせてきますね。

年度初めという時期もあり、新しい環境で疲労を溜めていらっしゃる方も多いかと存じますが、皆さんは無事に健康に乗り越えられると勝手に祈っております。

 

さて、今回のスタートは「意義」になりました。

というのも、ここ数日の間、知らないおじさんに私の存在意義について問答を繰り返される夢が続いておりまして、明晰夢も見れない程に脳内が支配されているようでしたのでそれを出しておこうかというような感じです。

 

皆さんは自分や自分を取り巻くモノについて存在意義を考えるようなことあるでしょうか。

昔からよく聞くことですが、将来の漠然とした不安とか人生の意味とか、そういう曖昧で考えても仕方のないようなことを考えるのは暇な証拠らしいです。

まあこれは「暇」について考える必要がありますが、概ね正しそうな雰囲気があります。

暇なのは幸せなことだと思いますが、暇すぎるのも考えものですね。

 

ちなみに、現在の追い出したい抽象テーマ群においては「死ぬ」「気遣い」「良い」「不思議」「"怒鳴る"の必要性」「話し方」「表記」「個と全の認知」「学びて忘れる」「大きい主語」「努力」「感情」あたりが結構な体積を有しています。

こう書き出してみるとやっぱり考えなくていいものばかりですね。

必要な分は必要なときに必要なだけ(その時の自分によって)勝手にできるようにしてくれるし、できないものは必要なかったとかキャパを超えていたということになります(強い主張)。

 

ちょっと喋りすぎなので他のことはまた今度にします。では、お時間ある方はそのうちの幾らかをこの下においていってくださればと思います。

 

 

意義

(意義には単に''意味''の意味もありますが、ここでは「その事物が存在することの積極的な価値・理由」くらいの意味を考えます。したがって、生き物に対して存在意義と生きる理由はほとんど同義だと思ってこの単語を扱っています。)

 

とりあえず意義を考える意義があるか気になるところですが、ここは極端なことだけ持ち上げて一旦保留します。

ありそうな主張の一つは次でしょう:

  • 人はいつか死ぬし、あらゆるものもこの宇宙すらもおそらくいつかは崩壊する。そもそも自身が観測できる期間は今の様子だと高々100年も無いだろうし、自分の生きた痕跡も文明が崩壊するほどの年月の頃には何も残っていないことがよく推察できる。したがって、特に自分を含めた身近な対象に対してその存在意義を考えて時間を消費することは無駄である。

後で必要になったらまた考えるとして、とりあえず屁理屈を捏ねます。

この主張が破綻するよく知られた言葉遊びの例は

  • この世界が一通り崩壊し終えた後には一部を除いて全く同様の世界が始まり、''あなた''だけが前の周回で培ったものを引き継ぐことが可能である。

で十分かと思います。

いわゆる「強くてニューゲーム」はメリットとして差し支えないかとは思いますし、「そんな話は聞いたことない」に対しては「引き継がれたという事実に関するデータは残らない」かもしくは今が1周目かもしれません。

 

はい、こんなこと言ってたら進みません。

ほぼ全ての主張は言葉の上では「◯◯ではない」というタイプの文言に書き換えられます。

(言語学的な意味ではなく)現代標準日本語としての意味での二重否定を用いれば良いですね。(二重否定と肯定が等しいかについては長くなるので今は考えません。気になる方は暇つぶしに考えてみてください。)

さて、「◯◯ではない」に対しては、直感的に考えている範囲の少し外側から「◯◯である」を設定するだけで上記のように屁理屈を捏ねられます。(この屁理屈にも同じことが繰り返されるので好きなだけイチャモン合戦ができます。便利)

このように生成される屁理屈の存在意義は保留しましょう。やはり進まないので。

 

ここらへんでちょっと意味のありそうな話をするために、ありがちな「私の存在意義」を考えてみましょう。

(レゾンデートルとアイデンティティの区別を曖昧にして明確でない文言を多用します。)

 

私は人間なので、一般の人間に対してどのような存在意義があるか考えてみることとしましょう。

大きなまとまりでざっと挙げてみますと、

  1. 所属している集団にて何らかの役に立つ。
  2. 他者の役に立つ。
  3. 特定の人物の存在意義に含まれる。
  4. 自分が持つ目的の達成に向かう。
  5. 喜びを感じる。
  6. 自己を表現する。
  7. 死後も存在したことが保証できるように名を残す。
  8. 返すべきものを返す。
  9. 予定がある。

こんなところですかね。他にもたくさんあるかもしれません。

 

大きく分けて二つあることがわかりました:

  • 他者に依存する存在意義
  • 自分に内在する存在意義

その上で、私の場合についてそれぞれどうなっているでしょう。

 

 

「1. 所属している集団にて何らかの役に立つ。」

私が所属している集団と立場をあげてみますと、「ある兄妹の兄」「ある家族の長男」「ある夫婦の孫」「ある親族の一壮年(もしくは青年)」「ある地域の一住人」「ある街の一市民」...「ある宇宙の一生命体」となるでしょうか。

少し前は「ある大学の一大学院生」でした。今後、職に就けば「ある会社の一社員」となるかもしれません。「ある団体の一構成員」という形になるかもしれません。

 

まあ色々言い方はありますが、このうちで私が今この瞬間"役に立っている"ものは(少なくとも直接的な形では)存在しません。

すぐ下の2., 3. に属することは後で見ることとして、この1. は私の存在意義ではありませんでした。

 

 

「2. 他者の役に立つ。」

これは仕事が一番わかりやすい例ですが、残念ながら私は無職でした。🤔

散歩ついでに献血に行くことがあるので、それはここに含まれるかもしれません。

 

他はどうでしょうね。自己満足のために簡単な人助けは厭わないように心がけていますが、私の存在意義とするほどの肯定感は得られていません。

お相手の方がその瞬間に助かったと感じてくださっていれば幸甚ですが、お節介なこともあったかもしれません。

 

何か職に就けば考えが変わるかもしれませんが、そもそも私は「(簡単に)替えが効く」部分で自分の存在意義に納得できそうにありません。

また、(こんな私が他者を評価するのは傲慢以外の何物でもないですが、)他者に対しては替えが効こうが効かまいが存在意義を感じます。

しかしやはり残念なことに、自分のことはそうもいかないようで、かといって替えが効かない能力を活かす方法を思いつかないどころか有しているとも思えません。

平凡な能力はいくつか有していると思うので、これらを取り揃えた人が少なそうなところで能力を発揮できると見えてくる感情もあるかもしれません。机上の空論ですが。

 

まあとにかく、現時点ではこれも私の存在意義ではありませんでした。

 

 

「3. 特定の人物の存在意義に含まれる。」

これまた難しいですね。

一般的にここに当てはまる特定の人物とは多くは「家族」「パートナー」「親友・友人」あたりでしょうか。

 

まず家族について。

幸いなことに、特に祖父母が私の存在そのものを肯定してくれています。

私が感じる自分の存在意義の1割ほどは祖父母から与えられていると思います。

 

親や妹はどうなんでしょうかね。

私が仮にこの瞬間に亡き人となったとして、涙を流してくれるほどに思ってくれていればありがたいですが。

そもそも私が悩みを全く話さないことも良くなかったのでしょう。

ただ、特に妹たちに何かあった時には私が邪魔にならない範囲で力になりたいので、ここにも存在意義が多少はありそうです。

 

パートナーについて。

少しややこしい形でパートナーとなってくださっている方がいますが、例えば結婚をすることはありません。(相手の方にはそう伝えてあります。念の為。)

問題は私の方にあります。

ここ数年の状態の私が人から存在の肯定を与えられ続ける環境に置かれたとして、いつか依存してしまい、失った場合に完全に壊れると思います。命まで無くすかはなってみないと分かりませんが。

存在を肯定されないパートナーはストレスになるだけなのでいてもらっても困ります。

これらのことを相手の方に一生をかけて押し付ける可能性は想像するだけで恐ろしいですね。なので結婚しないことにしています。

もし治ったらその時にまた考えましょう。

 

親友・友人について

私の中で友人以上と知人にはとんでもない差があります。(親友の定義がよくわからないので、友人以上の単数は友人と表現することが多いと今気づきました。)

やはり時間による変動もあるもので、私視点だと現在友人以上の方は9人いらっしゃいます。

でも相手方の内心までは分かりませんから、基本的には存在意義とするのは難しいですね。

 

また、そのうちで1人、仮にH氏としますが、安否が分かりません。

少なくとも去年の夏時点では生きていましたが、私の心配がH氏の負担になる可能性がある状態でしたので、そうならない範囲でできる限りのことをして後は生きていることを祈るだけという状態です。

H氏は私が生まれて初めて"馬が合う"と肌身で感じた人物でもありまして、「H氏が生きている可能性」は私の生きる意味の一つであることは間違いありません。

そういう意味では存在意義の一部としても差し支えないですね。

 

 

「4. 自分が持つ目的の達成に向かう。」

目的が無いですね。

冷静な今、つくづくお前は何なんだという感じです。

まあそういうこともあるでしょう()

これはゆっくり考えます。今はそのために無職の状態で休養しているという側面もありますから。

なので今はここにも存在意義がないですね。

 

 

「5. 喜びを感じる。」

無いですね。語弊があるかもしれませんが。

厨二病みたいなこと言いますが、例えば「今、嬉しいと感じたはずだな」ということはありますが、「嬉しい」という感情が正直よく分かりません。

「嬉しいという感情が生じた」が「(経験に基づく自分の感情として)嬉しいという状態になることが高い精度で推測される」に置き換えられているというのが近いかもしれません。

他の"感情"とよばれるものも大体同じですが、怒るタイミングがよく分かりません。いつ怒ればよいのでしょうか。

まあ14年ほど前からこういう感覚なので、これが普通なのかもしれません。

 

とりあえずここは自分でも良く分かっていないので、存在意義にはなりませんね。

 

 

「6. 自己を表現する。」

ここは分かりやすい例として「何か作品を創る」みたいなことから、「言葉を発する」ということなども想定して挙げました。("言葉"の定義を言葉を使わずに行うべきか、その場合はどうすべきかなどは割愛して雑に「言葉」という言葉を用いています。)

 

このブログ記事を書いている行為もここに含まれるかもしれません。

ただ現在の私の場合、別の存在意義のために生きる必要があり、死なないためにここを用意した形なので存在意義がここにあるということではありませんね。

 

 

なかなか存在意義は無いですね。

 

 

「7. 死後も存在したことが保証できるように名を残す。」

はい、全く興味がありません。

名が残っていることを自分で観測できないと意味ないじゃんという感じなので私の存在意義はここに無いです。

 

名を残せる状態になったら気が変わるかもしれませんがね😐

 

 

「8. 返すべきものを返す。」

私は奨学金という名の借金があります。まあかなりあります。

主に大学と大学院での入学金、学費、家賃等を含む生活費など、ここら辺でかかりそうな金銭のほぼ全てになってくれました。

 

借りたことに全く後悔がないので、幸せなことです。

当たり前ですが、自分で働いて返すつもりです。

今私が死ぬとおそらく保証人となってくれた父親と叔父に返済が回ってしまいます。

二人とも大いに尊敬しているので、そんなことになれば死んでも死にきれません。

 

もう一つ、恩も返さなければなりません。

「恩を返してくれよ」と言ってきている人はいませんが、返さずに死ぬわけにはいかないなぁという人は何人かいます。

自分のためにも、死ぬまでには返さなければなりませんね。

 

私の存在意義のほとんどはここにありそうですね。

とりあえずは借金を返すまでは死ねません。

ただ、返すものが恩だけになったとき、これを返さなくても分かりやすい実害は無いので、何かの拍子にフッと死にそうな感覚があって怖いです。

死ぬことに今は実感がないからか、はたまた今まで自殺を図っても成功していないからか、死ぬことに怖さはないですが、軽率な行動をとってしまう可能性が怖いです。

正直なところ、これを防ぐ意味でも奨学金を借りていてよかったと思っています。

 

とにかくここが今の私の存在意義の多くを占めていそうです。

 

 

「9. 予定がある。」

私は予定を入れるのがあまり好きな方ではないですが、気に入っている予定もあります。

全て書くわけにはいきませんが、それらを終えるまで自分から死ぬことはありません。いいね

例えば一つ、友人からお土産として漫画をもらうことになっています。

 

これらも生きる理由の一つなわけで、存在意義として差し支えないですね。

 

 

 

とまあ順に軽く見ていきましたが、全体的に思考が浅いなぁという感じですね。

ともかく、私の存在意義は「客観的に見てするべきことが残っている」が圧倒的に大きいようです。

 

だいぶスッキリしました。いぇい

夢のおじさんも少しは満足してくれるでしょうか。

 

 

 

時間に関する想定外の出来事

ここで、

  • 別の話として他にのテーマ群のいくつかについて、その意義を考える。
  • また、私の存在意義が分かったので、存在意義がなくなるまで死なないためにすることを考えておかなければなりません。

という続きがあるつもりでした。

 

当初は考えたそばから書く形式で一時間程度やるつもりでしたが、さすがに手と頭では作業スピードが全く違いました。浅慮による想定外です。

全く追い付かなかったので、小分けに10分考えてからその内容を書き出して...を繰り返すことにしましたが、最初の10分を書き出すだけで50分以上かかってしまいました。

なのでここで一旦終わりにして公開することにしました。

 

当初はこの6倍の分量を書こうと思っていたわけですから、恐ろしいですね。

そんなに多いと、書いているうちに「思考の整理と解放」より「記事を書き上げること」が目的になりそうだったのでやめました。

 

言っても言わなくてもいいことですが、読んでくれている方もいるかもしれないので報告をという感じです。

 

 

お付き合いありがとうございます。では。

(ちなみにタイトルは:続きとして書く予定だった後者の軸が平穏な生活にあったので、平穏・平和の象徴として鳩がオリーブの若葉を持ってきてくれたらいいなという願いを込めています。)

嚆矢

 

今これを見てくださっているあなたへ、ありがとうございます。

 

pAliceと申します。パリスと読みます。

integer(これは存在する英単語です)やイントと呼んでいただいても構いません。

混同の恐れが無ければなんでもいいです。

 

早速ですが、「今ご覧いただいているこの記事」と今後私によって書かれるであろう「これ以外の記事」は本質的に性質が異なります。

簡単に言えば、この記事は後者の説明書という立ち位置を想定して書いています。

ご覧いただける方は以下にお進みください。

 

 

このブログの存在意義とこの記事の役割

まず最も基本的なこととして、このブログは私個人のために開設いたしました。

 

具体的には、頭に溜まる思考のうち「当分必要なさそう」かつ「ある程度存在感のある」ものを書き出し、必要になるまでスッキリ忘れ去るための場所となっています。(予定)

従って、今お時間いただいているあなたを含めた読者に対してあまり親切なものにはならないと思います。

加えて、更新頻度については特に考えていませんがかなりゆっくりであることが想定されており、記事内容もある単語や概念についての思考を一時間程度ただただ垂れ流しただけのものになると思います。文章の推敲や誤字の確認も(この記事同様に)ほとんどしないでしょう。

そもそも次の記事をいつ書くかはまだ何も考えていません。(書くならこれかなぁというのはありますが)

 

また、最初に述べた通りこの記事は説明書の役割を担っています。

(言う必要はないですが、同時に、私自身がこのブログの存在意義を再認識し、想定している形式が自分に合っていそうか確認する役割もあります。あとはブログというものを書くのが初めてなので軽く慣れておこうかという意図もあります。)

ここまでの内容で何となく分かっていただけているかもしれませんが。

 

 

ちなみに、この記事のタイトルに深い意味はありません。最初なので嚆矢にしました。まあ鏑矢のことです。

 

 

記事の読み方

先述の通り、記事内容はある単語や概念についての思考を一時間程度ただただ垂れ流しただけのものを予定しています。

文章の推敲や誤字の確認もしないと思いますが、何かを断定することがあれば事実確認の裏どりのみは公開前に行います。

 

また、自分の頭の中の様子を他者と共有することは難しいらしいのですが、私の記事を読んでくださる方は円卓会議のようなものを想像していただくのが良いかと思います。

 

なお、私の記事で日常生活で役立つライフハック、生活を豊かにする素敵な雑学、明日友人に使いたいウィットに富んだユーモアなどを得ることもできないと思われます。

ほとんどの人にとって、得られるものといえば「この人(pAlice)はこんな思考回路を辿るのかぁ」のただ一点となっております。

 

 

私の思考を垂れ流すので、私自身について興味を抱いてくださる方もいらっしゃるかもしれません。

まあ色々ありまして無職です。が、このブログは特に収益化などは予定していません。仕事は別で探します。

 

大した取り柄はありませんが、「人に話すような程度にも至らないようなこと(☆)」をあれこれ難しく考えては、その中からまた新たな(☆)を得るという一連の習慣で時間を浪費する癖があります。

 

読書やゲームも好きな方かもしれません。

大学院で少し数学をしておりましたので、きっかけがあれば大学数学について多少は話すこともあるかもしれません。専攻は整数論/数論幾何でしたが、大体なんでも面白がります。最近は代数解析学の諸々を触っています。

数学以外の学問に興味がない訳ではありません。最近では分析哲学西洋美術史を特に興味の対象としています。

 

「名は体を表す」らしいので人が私につけるあだ名は割と興味があるのですが、最近つけていただいたChatGPTというあだ名はなかなか気に入っています。

 

あと、恐らくプロフィールを記入するべきなのでしょうが、まあそれはおいおい気が向いたらやります。

 

 

もしかして:友人

この欄は私の友人がここを見ていた際に初めて意味を持ちます。

あなたが該当者であるかは言わなくても分かると思います。

今後、記事の中で特定の人物を想像しているかのような記述が登場するかもしれません。

もしそれが悪い意味を持って登場した場合、それはあなたのことではありません。

あなたは人間として魅力的です。